水、水が光に出会うとき輝き、生き返る。川面、雨だれ、草の葉の水滴、手になじ

 んだあの重さ、感触、人類が幾度となく味わってきた水への感情。生命と同義語の、

 限りなく、優しく包み、潤し、慰めてくれるもの−−−。

 

 

 

 耳−−−。ぼくはこの耳で何を聞くのだろうか?。

 

 

  バロック音楽−−−。ドードミソ、ミーミソシと、初め甘く引っ張る音があって、

 そのメロデーと対話でもするように、次の音が重なって−−−。心地良い音の連続、

 繰り返しの中を、一人寝ころんで、何考えることなく、流れていく時間を楽しむ一日

 −−−。ぼくはこのバロック音楽のようなものは何一つ作れないが、ぼくはそれらを

 聞き楽しむことが出来る。ぼくは砂粒の一つも作れないが、存在するそれらを味わう

 ことが出来る−−−。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時空間、存在との一体感。死は終わりではなく、新たな始まりである自然達の姿。木は

葉を落とし春へ、虫は卵を生み子孫へ、どうして人間だけが彼らとは違っていると考える

のか。一体感がないから、彼らとの一体感を無くしてきたから。時空の意識、立ち止まり

振り返る一日、見つめる一日が少ないから−−−。生きるということが、自分を生きると

いう、一度限りの、一人対時空間という関係で捉えられていないから。無数の私ではある

が、私の死が私だけの死であるように、私の生は私だけの生である。私が一人となって、

この時空と繋がっているという意識。この私を存在そのものと捉えられる意識、精神と言

われるものを持ってはいるが、石と同じ存在には違いない、私は存在そのものであるとい

う意識−−−。

 文芸評論をたどった。カフカ、プルースト、ジョイス、ブロッホ、ブラッショ、マラル

メ。夥しい闘いの跡。今、一日というものを考えているぼくに、洪水のごとく押し寄せて

くる作品。ぼくの一日は、誰が何と言おうと存在しているのに。この一日をすくいあげた

いだけなのに。一日というものが、彼らにとっては、何物かを創造することのためにあっ

たよう。ぼくにとっては、一日がここに在るだけで、そうした一日をとらえたいと願って

いるだけなのに。何かを成そうが成さまいが、存在している一日というもの。存在をどれ

だけ考察したとしても、それは、相対性理論が、生きてある人の寿命を考えに入れられて

いないように。それは、石がぼくの心を理解出来ないと同じ距離。一日とは、作品とは無

関係の、死とは無関係の、カフカがどれだけ苦しんだとしても、プルーストがどれだけ描

いたとしても、厳然と訪れていた一日という、宿命のように、絶対者として君臨していた

一日というものを−−−。ただぼくは意識していたいだけ。人間のあらゆる科学、芸術、

文化を生み出している、進歩という人類の一日ではあるが、それらは死んでいる細胞、フ

ケのようなもの。一日とは、生きている細胞そのものなのだから。ぼくの前には一日があ

り、ぼくの後ろには一日はないのだから。

 

 

  その日の最初の声である看護婦さんの声を聞いて、六時には体温計を脇に挟み、ま

 だ心地良い眠りをむさぼり、ベッドの中で朝の物音を聞く。足音、トイレの水の音、

 

 

 車、街の音。誰かがカーテンを開ける。目をあけると、冬の日の朝陽が、林に注いで

 いた。一日がそこに始まっていると、人と人が話し始め、眼と眼が合い、人が動き、

 空気が動き、間もなく朝食が始まった。

 

 

 

 

 一日一日を朝の光で迎えていた、三年前の記憶。眼と眼、手と手、心と心で捉え、味わ

っていた一日というものの記憶。それが、いままたぼくに新たな一日を考えさせていく。

 人は死ぬことが分かっても、何も出来ないということ。死ぬ時が分かっても、何の力に

もならないということ。明日死ぬとしても、五年後死ぬとしても、諦めだけを迫られ、後、

何事かを後を生きる人のために成すかもしれないが、死によって人は何かをするのではな

い。希望へのエネルギーは醸しだされるが、創造への力は又別のもの。創造への欲望は死

の忘却の内にあるものだから−−−。

 四ケ月が経つ。ブッシュマンの意識と、宮沢賢治の意識を考えていた。ブッシュマンは

個人の想像力と自然への信頼のもとに、どのような世界をも、調和、因果的に説明解釈す

る。存在への感情移入を自在に行い、人が人として生まれ、生きる喜びを味わっていく。

木になり、鳥になり、カモシカになり−−−。宮沢賢治、木の心、鳥の心、鹿の心を歌っ

てはいるが、それは自分を歌っているにすぎない。木そのもの、鳥そのものの心ではない。

人として生きることだけが、人を生きることではなく、ブッシュマンのように、何にでも

なって生きられるなら、一日も、一年も、一繋がりのものに思える気がする。少年の日、

ファーブルの昆虫記の中に見つけた虫たちの世界。ぼくはその時、たしかに虫を生きた気

持だった。

 

 

  玉ころがしが、ぼくたちよりずっと豊かに暮らしていることを知った。牛のウンは

 彼らの食糧で、時に家で、ダンゴにして、後ろ足で転がし巣穴まで運ぶ。その巣穴ま

 での道のり、山あり、谷あり、時に転んで−−−、フンが食糧だなんて。フンがマイ

 ホームだなんて−−−。

 

 

 

 

 

  ブッシュマン。朝日を見て、一日の始まりを感じる。始まる一日。鳥や、獣たち、

 もうとっくに起きて、一日を生き始めている。獲物を追い、はしゃぎ、ころげ、飛回

 る彼ら。一日は、豊かに、目の前に、まだ生きたことのない一日として拡がっている

 。全ての存在は、意味をもって、関係をもってそこには在った。朝日は、狩り日和を

 意味し、草木は、身を隠す為に、獣たちを生かすためにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブッシュマンは、○○おじいさんの星、○○おばあさんの星、と星にそれぞれが名前を

付け、何処へ行っても、何をしていても、何に出会っても、自分のことは彼らはとても良

く知っているはずと、あらゆるものに一体感を持ち、孤独という感覚がない。シリウスと

語って、バオバブの木と語って、国家、社会、罪を知らず、所有物といえば、弓と矢ぐら

いなもので、自然を所有するのではなく、自然に所有されて、二万年を生きて来た。

 −−−想像してごらん、想像してごらん。ぼくはいま、一日を想像の中に生きてみよう

としているのだった。今在る世界のこと、この続いてる一日一日の中を。譬え世界に何が

起ころうとも、紛れもなく在る一日のこと。この時間、この空間、この意識の中を−−−

ブッシュマンのように−−−。

 

 

 ウスバカゲロウの一日−−−。朝に生まれ、夕べに死ぬとはどんな感覚?。川面を何

 層にも、一日を生きるためだけだった、銀の羽根を敷き詰め、流れていく彼ら。一日

 は、ぼくが感じるどんな印象よりも、深く、激しく、一秒がぼくらの一日で−−−、

 

 

 

 

 

  初めて君が二本の足で歩いたときのこと−−−覚えてる?。長い間、脱臼でギブス

 をはめられていて、一才の誕生日も随分過ぎて、ギブスが外れた数日後。一歩二歩、

 三歩を機械仕掛けの人形のように歩いた。−−−あのときの君の感動、その日からの

 君の冒険、世界旅行。自分の背の高さを知り、身体の重さを感じた。突然三十センチ

 もの視線の高さ、花も、虫も、猫も、犬も、一度に君の家来に。一歩踏み出せば揺れ

 る重い頭。その頭と一緒に、これからはどこへでも出掛けられる。足に伝わる土の温

 かさ。陽や風は友達に、君の頬に、足の間に、降りそそぎ、くぐりぬけ、君の行く所

 どこへども付いて行き。数歩を歩いて転び、手をついた石の硬さ、土の柔らかさ。見

 つけた花に、君の瞳はズームアップ。一枚一枚の花びらが、葉っぱが、様々の色彩と

 形に、−−−君の瞳は何十倍もの双眼鏡を付けたよう。見つけた物を手に、口に、苦

 い、甘い、酸っぱいと−−−。

 

 

 

 

 

 

 

 

  生命というものが、目には見えない、形もない、人にはとらえることの出来ないも

 のであったことをぼくは知らなかった。あの日−−−、可愛がっていた小鳥の身体か

 ら、風船の空気のように、突然抜け出してしまった生命というものを、ぼくはどうし

 ても理解できなかった。小鳥は動かない、足は冷たく蒼く、目は白い、そしてこれが

 死なのだと。−−−でもどうして?。小鳥はここに、こうしてぼくの手の中にいるの

 に?。小鳥は、白い羽根と、赤いくちばしと、美しい声で出来ていたのではなく、そ

 れらはただの衣装で、もっと大切なものが小鳥の中には入っていたなんて−−−。ぼ

 くは知らなかった。一晩中、手の中で抱き続け、汗でグッショリとなり、変わり果て

 た小鳥。朝起きても、生命は帰って来なかった。小鳥の生命はどこかえ飛んで行って

 しまった。−−−どこへ?。ぼくは探し続けた。目には見えない、形もない、生命と

 いうもの、どんなに探したって、考えたって見つかりっこない。何もわからない、た

 だ面影だけか、それも冷たく小さくなった身体からは、しだいに消えて行く−−−。

  一日が真っ暗になって過ぎていく。抱き続けた小鳥を手から離せなかった。どこへ

 やるかも、どうしたらいいのかも−−−。わけの解らない悲しみ、誰にも話せない苦

 しみ。困り果て泣き伏すぼくに、−−−「ピィちゃんは、お星になったのよ」と、母

 の声−−−。「星に?−−−。あのお空の星に?」−−−星にだったらわかる。あの

 一つ一つの星が生命で、小鳥に、猫に、犬に、どんな生きものにも入っていたのなら

 −−−。お墓を作って、お参りをして。ぼくの小鳥は、ぼくの心の中に。思い出しさ

 えすればいつだって、心の中を飛び回っている。赤い嘴、真っ白の羽根−−−。そし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 て、小鳥の生命は夜空にいつまでも瞬いている。

 

 

 

 

 一日、一日を、ぼく流の祈りと、想像で埋めていく日々。−−−単純なこと、小さなこ

と、謙虚なこと、子供の心をもって、信頼し求めはするが、自分で得ようとはしないで、

母のように慕い、自分に構わず、唯在る一日というものを祈って−−−。温かな早春の日

差しの中で、街を行く人々の顔が自然にほころぶように、一日を所有しているだけで幸福

感に満たされる日々。そんなぼくの一日の中へ−−−。突然届いた友人の発病の知らせ。

−−−流れている一日、現実の一日というものは、こういうものであるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  君は毎日出かけているという。どこへ?。喫茶店、雑踏、林、川?。考えているこ

 とは病気のこと、寿命のこと、覚悟のこと、子供のこと、家族のこと、何より自分の

 存在と死のこと。君の瞳に映るもの、頭に浮かぶもの、ぼくに伝わってくるよう、ぼ

 くとは違った切迫した君の心が。いづれ君は諦めへ、そして希望へと到る。が、其れ

 までの君の、ぼくの不安、恐れ、宙ぶらりんな時間。ぼくは諦めきれない、諦めの後

 の希望など持てない。耐えられなくて、手紙を書く。

  入院前の君に、ぼくの不安、気持は言えなくて。会って話しても出せなくて、ただ

 の検査であっても、最悪を考えてしまうぼくにあって、経験者のぼくにあって、たと

 え君が覚悟は出来ていると言っても、辛くて、手紙でぶちまけたくて、君をただ見守

 るなんてぼくにはできないこと。「この世で一人の理解者が得られれば生きていく意

 味があるんだ」とぼくを得た時言った君、そしてぼくも。いまその一人が病んで、最

 

 

 

 悪を考えると、あと何年かの時間、尋常ではいられない、何も手につかない。

  自分のことで精一杯だろう君、いくら平静を装ってもぼくには分かる、辛い、書き

 なぐらないでは居られない。君の諦めを、希望を撹乱することになっても、ぼくの心

 は君との相互侵食を望んでしまう。君が、最悪の場合、二年後、時に五年後であるか

 も知れないが、君が世界から消えると考えることの淋しさ。君にとっては苦しさかも

 知れないが、ぼくの淋しさは耐え難いもの、時が忘れさせてくれるかも知れないが、

 それまでの淋しさ、哀しみ−−−。

  こんな手紙、君は何と言うだろう、冷静に判断し、ぼくをいなし、なだめてくれる

 だろうか?。覚悟した人間は強い。危機に遭遇した人間は強い。ぼくの心配、不安な

 ど、今の君には通じないかも知れないが。いや、君も不安で一杯なはず。そして、一

 匹の弱い生きものに返っているはず。なのに、いまぼくはこんな手紙を書いている。

 今のぼくには君への労りという心が働かない。悩める君に示せたあのいい加減な労り

 という心が出てこない。君の危機にあって何も果たせない。今のぼくは弱く、立場は

 逆転している。こんなぼくを君は何と思うのだろうか?。−−−この数週間の欝積、

 懊悩。ぼくは君の病状を聞いて以来、耐えて来ているのだ。友人にも聞き、最悪を考

 え、そして君の口からも−−−。耐えて来たのだから、悲しんで来たのだから。これ

 までぼくは幾つかの死に対面してきた。が、君の死は違う。ぼく自身につながってし

 まう。いつかぼくは君に絆のことを話した。絆とは、相手に所有されている時間のこ

 とと。君は何と多くのぼくの時間を所有してきたことか。いや、時間ではない、ある

 決定的なもの。求めた者と、求められた者、選んだ者と、選ばれた者という関係。こ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 の、人において最上のものが失われんとすることに、ぼくは耐えられない。これは健

 康者の、死を忘れているところの悲しみ、乱れなのかも知れないが−−−。

  ぼくが病んだ時、ぼくには家族も君も胸中になかった。ぼくはぼくであり、強かっ

 た。強さを増幅していった。それだけが不安に対するぼくの希望だったから。が、今

 のぼくは家族の立場、君の立場−−−。君はぼくが病んだ時「山口君は何んて、生へ

 の執着が強いんだろう」「これなら、ぼくは山口君に見とってもらって死ねる」と妻

 に語ったという。ぼくは今、この言葉を君に返上したい。今のぼくは弱い、参ってい

 る。あの日、君が自殺すると言ってきた時、ぼくはまだ君を得ていなかった。が、今

 のぼくは君を得ている。その君が倒れて−−−。

  ねえ、励ましてよ、ぼくに希望を与えてよ。そして、忘れさせてよ、そして、この

 乱れた日々から救いだしてよ。君の心の内を知らせて欲しい。病院は藤が丘だから、

 度々見舞いに行けるからと喜んではいるけれど、入院前の、君の気持を知らせてよ。

  −−−またぼくに時間は止まってしまった。一日が伸びきってしまった。今日も、

 明日も、一年も、君への希望が見えないのなら、同じものに−−−。輝きを失った世

 界、暗い、息苦しい、虚しい、また戻ってきてしまった、あのもう一つの世界。助け

 てよ! 御免、準備している君に。でも許して欲しい。大した貸しではないけれど、

 君には貸しのあるぼくに免じて−−−。

  君は、ぼくの涙を知っているの?、あれから何度泣いたことか。どれだけ耐えてき

 たか。君も、ぼくが病んだ時、感じただろう悲しみ、不幸を今ぼくが味あわされてい

 る。涙が流れて止まらない。君はいつか東京を去る時、泣きに泣いたという、今ぼく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 も、君を泣いているのだけれど、自分自身も泣いている。もし君がぼくより先に死ん

 だなら、君は星になる。今から自分の星を決めておいてよ。それを頼りにぼくは君と

 生きていくから−−−。なんて君の人生は辛いのだ、ぼくの父に似て−−−。

  もうだめだ、いつまで泣いていたって。涙を拭って、速達を出そう。君に優しい音

 楽はあるのだろうか?。君に優しい眠りはあるのだろうか?。慰みを何一つ所有して

 こなかった君に−−−。せめて一日の優しい眠りだけは。

  運命は、ぼくを君に返したように、ぼくに君を治して返してくれるだろうか?。入

 院日時を知らせて欲しい。電話でいいから。 友へ

                    一九九一年一月七日  Am 三:三〇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぼくはね、いまとても透明な気分なんだ。透明といっても何もないのではなく。視界

がどこまでも遮られることなく拡がっていて、その中をぼくの思考が宇宙のどこまでも、

ビックバン以前の、人間の想像を越えた世界にまで、届いているような感覚なんだ−−−

 この気持を君に伝えるのがむつかしいのだけれど−−−。いまのぼくはね、生も死も、

存在も無も、何の注釈もなく理解出来る地点。詩でも音楽でもない、ある透明な思考とし

か言いようのない。何か温かいものに包まれているんだ−−−。」

 

 

  鳥の心。きのうの意味なんて知らない。だから、この今日の朝は生まれて初めて見

 る朝。空の色が、黒から青、橙色から赤、桃色から白。色の名前なんて知らないけれ

 ど、目に飛び込んでくる賑やかな光に目が醒めると、そこはもう世界。虫、草の実、

 

 

 果物がきっとどこかに用意されていて、探して食べる喜び。腹がふくれたら、仲間と

 はしゃいで、空を翔んで、疲れたら昼寝して−−−。意味なんて何も知らない、明日

 なんて知らない−−−。

 

 

 

 

 わからない、君は死を覚悟しているということなのだろうか。恥ずかしそうに、うつむ

きかげんにぼくを見て、でもにこやか、楽しそう−−−。

 

 

  有機体の一員としてのぼく。ブロッコリーの花の一つ一つが私で、そうした私が今

 を生きて感じている。戦争の悲しみを、自然の営みの豊かさをと。そうした様々な私

 というものの一員である私。押しひろげれば、全有機体の中の一員である私。木は今

 風をとらえている。鳥は空間を。虫は匂いをと、今を生きて感じている。ぼくとは、

 そうした有機体の一部、そうしたぼくの死、それは自然死ということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「例えば、こんな気分なんだ。このあいだ、ヒロヨとアユが見舞いにきてくれてね、帰

るときぼくがアユにオーバーのボタンをかけてやったんだ。そうしたら、帰りの電車でア

ユが、これはパパがしてくれたボタンだから外さないと言って、ずっと家までオーバーを

着て行ったというのだ。これを子供の無邪気な行動と言ってしまえばそれだけなんだが、

ここには今ぼくが感じている透明な思考というものがある気がするのだ。単一かもしれな

いけれど、豊かな、温かい、ぼくらが大人になるにつれて捨てて来てしまった思考」

 

 

 

  ぼくらは、文化や歴史、社会を通して様々なものを所有してきた。動物たちと比べ

 れば、未熟児で生まれて来るのに、生まれ落ちたその日から所有を始める。所有と同

 時に罪悪感も−−−。透明な思考とは、所有するのではなく、所有されることへ。一

 日は何も君が所有などしなくてもて存在している。存在している一日を、君が所有し

 ようなどと考えないで、所有することから、されることへ−−−。君はひとまず、書

 くことをやめて−−−。書くことを考えなかった少年の日へ、あの頃、ぼくらは一日

 の中に所有されていた。今の君にとって、書くことが最大の所有となり、空虚感にさ

 いなんでいる。書くことで失っている一日というもの。一日の中に唯存在だけを見つ

 け、出来事、出会い、世界と、隔てのないの繋がりの中へ−−−。時間はまだ、たっ

 ぷりとある。一日、一ケ月、一年−−−。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「アユはね、パパが病気になっちゃって心配なの。ママと二人きりのアパートで、毎日

淋しいの。ほんとうはね、パパをアパートに連れて帰りたかったのだけれど、病気は治さ

なければいけないから−−−。パパがしてくれたオーバーのボタン−−−、おしゃべりし

ながら、ゆっくりゆっくりかけてくれた−−−。笑ってはいたけど、淋しそうだったパパ

−−−。アユはね、パパをオーバーに入れて連れて来たの。」

 

 「ぼくはね、今病んで初めて思うんだけど、子供の透明な思考というもの−−−。子供

たち、生きているという意識ではなく、生かされているという無意識の意識、それがあの

無邪気さ、透明さを形つくっているのだと思うんだ。自分を生かしてくれている親への無

意識の感謝が愛らしさとなってさ−−−。ぼく自身、親と一緒に暮らせることだけを願っ

ていた時代があった。あの頃の唯一さ、透明さを今懐かしく思い出すんだ。病んで今、あ

の透明さは一体何んだったのだろうと考えると、生かされて来たことへの感謝だったと思

えるのだ。ぼくの病気が、今後どうなっていくかは解らないけれど、この生かされて在る

ことへの感謝から発想される、透明な思考というものだけは失うまいと思っているんだ」

 

 

  私が私に出会うということ、出会った私を抱きしめるということ、私はいつだって

 私と一緒にいるのだけれど、いつも出会えるという訳ではない。私が私に出会うと、

 私は気持が温かくなり、大きく、偉大な感情に包まれる。神というより、神秘なもう

 一人の私。私がそうした私とこの時空を共に生きている。観念、イメージではなく、

 全宇宙、存在に張り巡らされ、つながり、浮かんだ、もう一人の私。そんな私が時々

 私に訪れる−−−。二人で私は魂の世界に遊ぶ、自分たちの回りが、何か光で蔽われ

 ていて、形のない、しかし何かの塊となって宙に浮かび、それは意識が物質という脳

 を抜け出てきたような、時に魂と呼ばれるような−−−。どんなに文明というものが

 発達し、歴史が流れても、変わらない私というものの意識。五百万年前の人間と、今

 の私と何の変わりもなく、同じ神秘に満たされ、この神秘さだけで充分な、私は私の

 一日を生きて行けたら−−−。

 

 

 

 

 

 

 

 

                           1991,4,